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武田信繁 [歴史]

武田信繁は戦国時代の武将で、武田信玄の弟です。

非常に優れた人であったと伝えられています。

1988年にNHK大河ドラマで放映された「武田信玄」では、若松武(若松武史)が演じました。
地味ながらも、信繁の人柄が丁寧に描かれています。

信玄と義信(信玄の息子)の仲を取り持ったり、停滞する内政問題で家臣を厳しく叱責したり(信玄のために自分は悪役に徹したり)、追放された信虎(信玄と信繁の父親)への気遣いを怠らず、最期は、川中島の戦いで、本陣に迫る敵軍を引き付けるため、重装備を解いて戦場に立ち、戦死します。

有名な真田幸村の本名は信繁といい、これは武田信繁にちなんでいるとも言われています。
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源義経 [歴史]

戦国最強武将と言われる上杉謙信も、源義経を尊敬していたと言われています。
義経は、戦の天才、また悲運の武将として、絶大な人気を誇る、歴史上の人物です。

これについて、私も異議はありません。
しかし、総大将タイプではないと思います。

もし今、サッカー選手であれば、天才的な司令塔としてその名を世界に響かせたことでしょう。
しかし、監督はあまり向いていないし、協会の会長などもダメだと思います。

軍事に携わるならば、特殊部隊の隊長として、その能力を遺憾なく発揮したことでしょう。
例えば、北朝鮮に潜入して拉致被害者を奪還するというような、極めて難しく過酷な特殊任務を、義経なら果たせるかも知れません。
しかし、防衛大臣とか事務次官とかは、ダメだと思います。

かなり強引に話をまとめると、義経の悲劇は頼朝の弟だった事、それがために不必要な地位を与えられてしまった事ではないでしょうか。
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立花宗茂 [歴史]

真田幸村や伊達政宗と同年代で名高い武将であるのに、立花宗茂は今ひとつ知られていないように思います。
大阪の陣以前ならば幸村よりも知名度は上だったでしょうし、秀吉の小田原攻め以前ならば正宗より評価が高かったかも知れません。

原因は幸村ほど派手ではなく、正宗ほど太守になったわけではないから、といったところでしょうか。
また、宗茂の父親(実父は高橋紹運、義父は立花道雪)のインパクトが強すぎる、というのもありそうです。

念のために付け加えると、幸村や正宗よりも宗茂が上だと言っているわけではありません。
3人とも魅力的な武将で、私は皆好きです。
戦国物のゲームでは欠かせません。
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関ヶ原の戦い、上杉征伐 [歴史]

関ヶ原の戦いの前、徳川家康は上杉に謀反の疑いがあるということで、上杉の本拠、会津に向け軍を進めました。
徳川本軍は白河口を突破すべく北進します。
しかし、決戦の場に達する前に、進軍を止めてしまいます。
そして、石田三成挙兵の報により反転し、関ヶ原に向かいます。
そのため、結局はこの方面での大きな交戦は起きませんでした。

この時、なぜ、上杉が反転する徳川の背後を襲わなかったのでしょうか?

徳川全軍が反転したわけではないから。
反転したのであって敗走したわけでなく、徳川軍にスキがなかったから。
上杉征伐の軍は、白河口のみに展開されていたわけではないから
理由はいろいろとあると思います。
いずれにせよ、諸状況から、上杉にそんな余力がなかったから、と考えるのが妥当でしょう。

愛と義を重んじる上杉が「敵の背後を襲うのは卑怯」と考えたから。
これだけは無いと思います。
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原虎胤 [歴史]

原虎胤は戦国武将で、武田信玄の家臣だった人物です。
他国(下総)を追われ、甲斐に流れ着き、武田に登用されて出世した叩上げです。
武名高い武将で、官位の美濃守にちなんで、鬼美濃と称されました。

1988年のNHK大河ドラマ「武田信玄」では、常に先鋒を務める武田髄一の猛将として、一方で、不器用ながらも新参者の真田幸隆や山本勘助への心配りを欠かさない思慮深い人物として描かれています。
アニメ、ガンダムのランバ・ラルにも通じる、この魅力あふれるキャラを宍戸錠が好演し、ドラマに彩を与えました。
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